書きたいネタとか

ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう(折笠美秋)

じきに行く鬼籍たんぽぽの種持って(山本冴子)

人ひとり死ぬたび一つ茱萸灯る(折笠美秋)

夏の葬ずっと一目置いていた(いわたたけし)

っていう超未来の七ちゃん視点の悟まこの明るい死にネタ

表札を掛けるとすれば冬桜(浪山克彦)

柩なら自分で選ぶ冬桜(前田弘)

っていう冬のイベントシーズン~卒業シーズンの告白ラッシュでイライラする高校生悟まこ

生存確認的に好きなこと呟く

高井几董
 名月に朱雀の鬼神絶えて出ず
 名月や金で面張るかぐや姫
 代官に化けて瓜食う狐かな
 野を焼くや小町の髑髏物言わず
 狸とは知りつつもまた碁を囲み

折笠美秋
 人ひとり死ぬたび一つ茱萸灯る
 パン屋へは二百歩銀河へは七歩
 ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう
 七世七度きみを娶らん吹雪くとも
 海の蝶最後は波にとまりけり

木下夕爾
 少年に蝉の森かぎりなく青し
 少年に帯もどかしや蚊食い鳥
 花鋏露けき石に置かれたる
 風の芥子真っ赤に定かならぬ記憶
 夏終わるもっとも高きポプラの蝉
 眠るべしかの沼も今は凍りおらむ
 枯野ゆく我が心には青き沼

金子兜太
 よく眠る夢の枯野が青むまで

木畑紀子
 脱け殻も亡骸もある森のなか時間止まらせて油蝉鳴く

江戸雪
 ヘブンリーブルー咲きつぎ知らぬ間に人傷つけて我の谷底
 傷つけたことよりずっと許されていたことつらく椿は立てり

岸原さや
 ああだからここにおります廃駅のまばゆい光に溶け出しながら

気象予報士の人
 君が火を打てば一面火の海になるのであらう枯野だ俺は

いろんな人の朝顔のやつ
 朝顔の紺の彼方の月日かな
 白朝顔何かが終わる身のほとり
 朝顔の藍を頼りに帰りなさい
 あさがおはむらさきがいいな水をやる

過去日記30


ウェストカー・パピルスの物語より
スネフル王の御代の奇蹟ーー娘漕手たちの話

 するとバウフラー(王子)が立ち上がって話しを始めました。「私は陛下に陛下の父王、声正しきスネフル王(陛下)の御代におこった奇蹟についてお聞かせいたしましょう。(それは)首席典礼司祭、ジャジャエムアンクの行なった(数ある)奇蹟の(一つ)でございまして、(四・二〇)[………]これまで(一度も)起らなかったようなこと[なのでございます]。
 [ある日スネフル王はなにか気晴らし]はないかと王宮(万才!)(6)の[部屋部屋をくまなく歩きまわってみましたが、なにもみつからなかったのでございます。そこで王は申されました。]『首席典礼司祭で[書記]長であるジャジャエムアンクを連れてこさせよう。』すぐさまかれが連れてこられました。そこで陛下は申されました。『(余は)何か気晴らしはないかと王宮(万才!)の[部屋部屋をくまなく歩きまわってみたが](五・一)何もみつからなかった』と。ジャジャエムアンクは答えました。『陛下よ、王宮(万才!)の池においでになり、宮中の美しい娘たちをみなお舟に乗りこませになって下さい。娘たちが櫂をとって上り下りするさまは陛下のお心を楽しませることと思います。(五・五)そして池の美しい茂み、池を縁取る野原やその美しい岸をごらんになれば、陛下のお心はきっと楽しまれると思います。』(陛下は申されました)『よろしい、船遊びをいたそう、金張りの黒檀製の櫂を二十本もってまいれ。柄のところは〈白檀〉製で上質の金で飾ったものだ。また二十人の娘を連れてまいれ。(五・十)身体美しく、乳房(ひきしまり)、髪を編み、(まだ)子供を産んだことのない(娘たち)だ。また二十枚のネットをもってまいり、この娘たちが着物を脱いだらこのネットをつけてやれ。』そこで王さまの申された通りにされました。
 すると娘たちは櫂をとって上り下りし、陛下のお心は娘たちの漕ぐさまをみて満足でした。(五・一五)ところが船尾にいた一人が編んだ髪をもつらせ、新しいトルコ玉の魚形の耳飾りが水中に落ちました。するとこの娘は静かになり(7)、漕ぐのもやめました。そしてその一行(も)静かになり漕ぐのをやめました。そこで陛下は申されました。『どうした、もう漕がないのか。』娘たちは答えました。『私たちの指揮をされるかたが(五・二〇)静かになったのです。そのかたは漕ぐのもやめました。』陛下はその娘にたずねられました。『どうして、そなたはもう漕ごうとしないのじゃ。』娘は答えました。『新しいトルコ玉の魚形の耳飾りが水の中に落ちた[のです]。』そこで[陛下は申されました。『余が]代りをつかわそうか。』だが[娘は答えました。『同じようなものよりも]私のもの[がすきなのです。]』そこで[陛下は]申されました。[『行って首席]典礼司祭[ジャジャエムアンク]を連れてこい。』すぐかれは連れてこられました。
 そこで陛下は(六・一)申されました。『わが兄弟、ジャジャエムアンクよ。余はそなたの申した通りにやってみた。余の心は娘たちの漕ぐさまをみて楽しんだ。だが指揮をとる娘の新しいトルコ玉の魚形の耳飾りが水の中に落ち、そのため娘は静かになり、漕ぐのをやめてしまった。そこで、みなも〈漕ぐのをやめ〉てしまった。余が娘に(六・五)「どうして、そなたはもう漕ごうとしないのじゃ」とたずねると、娘は「新しいトルコ玉の魚形の耳飾りが水の中に落ちてしまったのです」と申した。余は「ただ(一心に)漕げ、余がその代りをつかわそう」と申したのに、娘は「同じようなものより私のものがすきなのです」と答えるのじゃ』と。
 そこで首席典礼司祭ジャジャエムアンクはいくつかの呪文をとなえ、池の水の半分を他の半分の上に重ねました。そして石のかけらの上にのっている魚形の耳飾りをみつけました。(六・一〇)かれはそれをとりに行き、耳飾りはその持ち主に返されました。ところで、その真中で十二腕尺だった水は、重ねあわされた後では二十四腕尺になっておりました。かれはまたいくつかの呪文をとなえ、池の水をもとの状態にかえしました。
 陛下は王宮(万才!)全体とともにお祭り気分で(その)日をすごされました。それから首席典礼司祭(六・一五)ジャジャエムアンクにあらゆるよきものをおつかわしになりました。
 これがあなたの父、声正しきスネフル王(陛下)におこった奇蹟首席典礼司祭で書記長であるジャジャエムアンクの行なった(数ある)奇蹟の(一つ)でございます。」
 すると声正しきクフ王陛下は申されました。「パン千個、ビール百罎、牛一頭および香二山を声正しきスネフル王(陛下)に献納するように。(六・二〇)また菓子一個、ビール一罎および香一山を首席典礼司祭で書記長であるジャジャエムアンクに与えよ。なぜなら、余はそのわざのほどを知ったのであるから」と。
 そして陛下の命ぜられたとおりに実行されました。

(杉勇・屋形禎亮訳「エジプト神話集成」〈筑摩書房二〇一六年九月十日発行第一刷〉31から34頁より引用)

※スネフル王は紀元前2500~2600頃の人なので、マハードたちの時代より千五、六百年前の話。

関係ないけど、働き手の歌にはよく「お天気はおれたちの望みどおり」って文句が出てくる。
あと、「良い日は冷たい」(パヘリ)「こんな良い日が国にやってきた、北風がやってきた」(刈り手のいう答えの畳句)「手を休めるな、(今日は)涼しいからな!」(打穀のうた)みたいな、今日は涼しいから作業日和だ!的な文句が入る。

過去日記29


母の実家(東北の山奥)が、電車なし・バスなし・乗合タクシーで最寄駅まで30分・最寄駅の電車は平日で一日上り下り合わせて17本とかいう限界集落に近いような村なので、母の小さい頃の習俗について教えてもらうと興味深い。
今回は竈っこ焼きについて聞いたので、ついでに家の本で竈っこ焼きについて調べてみた覚書です。

・旧の三月三日にやる。
・昔は河原で竈を作っていた。
・今は重箱にまんじゅうや煮しめをつめる。
・桃の花や桃の実の型に蒸し立てのまんじゅうを入れて型を付けて、食紅で色を付ける。
・東北の旧暦三月三日はまだ寒いので外に行きたくなかった。
・寒くて困った。

ということで、母の実家は旧上閉伊郡の村(今は合併して市になった)なので、ものの本によると旧暦の四月一日か八日にやっているところが多いはずで、母の村はひと月早く春山入りをしていたものと考えられるため、そりゃ寒いわ、っていう結論に至りました。そりゃ寒いよ。



あと、

・昔は学校のトイレの中に洗面器を置いて、洗面器に張った水にクレゾールを入れて手を洗っていた。
・しばらく同じ水を使って、汚くなったら先生が水を取り換える。

って言ってて、おお…岩井志摩子の『密告箱』っぽい世界だな……って思った。
コレラではなく赤痢や腸チフスの予防だったと言ってたけど、どれも同じようなものに思えてしまう…。



文学の世界と言えば、父が、

・大学時代は小学校の宿直(とのいじゃなくてしゅくちょくの方)のバイトをしていた。
・小学校が会社に委託して、委託された会社が大学の寮に話を持ってきてた。
・宿直バイトの担当は先輩から後輩へ引き継がれる。
・だいたい一年交代。
・だから宿直バイトは代々の寮生が受け継いでいた。

って言ってて、『青い山脈』の世界だな……って思った。
古い上着よさようなら。

父とエゴノネコアシアブラムシの虫癭の観察とかしてます。
あと今日お墓参りがてら府中の浅間山公園に行ってきたんですが、
浅間山(笑)ただの丘でしょ(笑)
と思ってたら意外と木とか頑張ってたので、浅間山!ってなりました。
意外と木とか頑張ってた。コナラとか。



『荊楚歳時記』には、
  三月三日(禊祓す)士民並びに江渚池沼の間に出て、(清流に臨んで)流杯曲水の飲をなす。
とあって、禊祓や清流は明代のテキストで補われたものである。しかし『荊楚歳時記』の右の本文にそえた隋代(五八九-六一八)の杜公瞻の註に祓除(みそぎはらひ)と言っているので、水辺で穢れを祓ったことはたしかなのである。註は、
  注に謂ふ、今、三月、桃花水の下、招魂続魄するを以て、歳穢を祓除すと。周礼に、女巫、祓除釁欲すと。鄭注に云ふ、今、三月上巳・水の上(ほとり)の類なりと。司馬彪の礼儀志に曰く、三月上巳の日、官民幷に東流の水の上(ほとり)に禊飲すと、弥々此の日を験あらしむるなり。(下略)
とのべて、昔は、三月のはじめに桃の花の咲いた水辺で身の穢れを禊祓すれば長命になる、と信じられたことがわかる。
 これが前奈良期の文武天皇のころから宮廷にはいり、曲水の宴をおこなうようになった。しかし『日本書紀』は顕宗天皇の元年・二年・三年(四八五-八七)に、すでに上巳(三日)の曲水の宴があったとしている。これはおそらく日本にも古来、三月弥生の天気のよい日に山遊び、川遊び、浜遊びがあったのを、中国風に「曲水の宴」と『日本書紀』編者が大袈裟に書いたものであろう。このように私がかんがえるのは、夏の終わり六月に「夏越の祓」(大祓)、冬の終わり十二月に「追儺」の大祓があったように、春の終わりの三月(季春)に罪穢を祓う祭りがあったに違いないとおもうからである。それが中国の上巳の祓除の風が宮廷にはいったために、三月三日に山遊び、川遊び、浜遊びが固定し、桃の節句になったのである。
(中略)
三月節供に山・磯遊びをする風は、花見などと結合しながらもまだ全国によくのこっている。徳島県の日和佐の磯遊びなどは、テレビで紹介されるほど全町民が浜に出て御馳走を交感しながら食べる。対馬、五島や九州の西海岸、あるいは周防大島も磯遊びがさかんで、「磯の口明け」という汐干狩がおこなわれる。五島ではこれを山磯遊びといって、酒宴とともに凧揚げをする。また信州の下伊那地方では「三月場」といって、川の畔で子どもが蓆をしき、竈をつくって飯を炊く。ママゴトのはじまりである。岩手県上閉伊郡地方ではこれを「竈(かま)こ焼」といい、盆のボンガマまたは辻飯とおなじことをする。
五来重『宗教歳時記』平成22年1月25日株式会社角川学芸出版初版発行 同左発行初版64~66ページより引用)

三月節供サンガツセツク
(中略)
三日に固定したのは支那の影響であるが、三月は農事の上での重要な季節とされ、物忌や禊をおこなったもので、雛人形の起りもみそぎに使う形代で、これにけがれをつけて流すのだといわれ、あるいは流して神送りをする神の形代とも考えられている。この頃にイソアソビ・イソマツリと称して海辺に出かけ潮干狩や飲食をする習俗は日本の南北を通じて見られ、また春遊び・山遊び・花見正月などといつて山や野に出かけ、終日を遊び暮すところも多いが、つまりは家に居て仕事をしてはならぬ神ごとの日だつたからである。
民俗学研究所編柳田国男監修『民俗学辞典』昭和26年1月31日東京堂出版初版発行 昭和40年4月20日発行29版244ページより引用)

山遊び(歳)ヤマアソビ
旧暦三月から四月にかけて、一定の日に山や海辺に行つて食事をする風習は全国的である。これを三月三日や四月八日としている所は特に多い。磯遊ビとか野ガケなどの名でも呼ばれ、春のある日を戸外で飲食しなければならぬという習わしは古くからつづいているものであろう。潮干狩などもこれから起つているらしく、花見という風習もまたもとづく処はここにあつて、山遊びのついでに、もしくはその一つの目的として、山の花をとつてきて家に飾る風があつたものと思われる。奈良県の一部で三月三日を花見といい岡に登つて飲食し、岡山県でも同じ例が四日にある。東北地方では四月一日・八日などが多い。
民俗学研究所編柳田国男監修『民俗学辞典』昭和26年1月31日東京堂出版初版発行 昭和40年4月20日発行29版640ページより引用)

 三月三日女の子が河原に出て、ご飯をたいて遊び、ひなに供えたニンニクを軒下につるすと悪病よけになるという。(安芸郡馬路村)
(桂井和雄『民族民芸双書79 俗信の民俗』1973年11月20日岩崎美術社発行第一刷 252ページより引用)

 ところが、柳田は右のように述べた後で、次のような仮説を加えるのである。「花見が一つの祭の式であつた時代が、上世にはあつたらしいといふことが考へられる」と。驚くべきことに、特定の状況のなかで生み出された宇宙樹としての枝垂れ桜のはるか彼方に、「古代の信仰習俗としての花見」つまり「鑑賞と宴としての花見」の起源を幻想するわけである。
(中略)
 柳田国男がほのめかした「花見の祭」とは、おそらく「春山入り」行事のことであろう。この行事に関連させて、大胆な仮説を展開したのが、折口信夫であり、そしてまたその直系の弟子である桜井満であった。彼らの議論は、特定の状況、特定の桜、特定の人々といったような限定を抜きにして、一般論として、文献以前の古代人にとって、桜は信仰の対象であったあるいは信仰システムの要素として機能していたという。
學燈社國文學』平成13年4月10日発行第46巻第5号4月号掲載小松和彦「信仰としての桜」39-40ページより引用)

過去日記28


美味しそうがらせに来てるわけじゃない感じなのに美味しそうな食事の描写を読みながらご飯を食べるのがSUKI(悪癖)
読みたいときに本が手元になくて読めないことがままあるので、実家の本の内容をメモしてあとで私が喜ぶ計画です。



 うまそうな匂いで鍋が吹きこぼれ、ストーヴの薪がぱちぱち燃えさかる中で、二人は愉しく笑った。やがて出来あがった狐の朝飯を、その前に掃除のすんだ狐舎に萩岡がバケツで運んで行き、それぞれに配って来るあいだに、芳子は今度は自分たちのに取りかかる。ストーヴのもう一つの方の穴で、ご飯だけはもう炊けているから、おみおつけを作り、それに割った卵を落す。フライド・エッグより、萩岡はそれを好んだ。半熟よりはややかたく、こちこちにはさせない程度にするのがこつものであった。そうやって拵えあげた朝御飯も、東京の家ほどではないが、とにかく、萩岡にはこちらへ来てもほんの習慣で箸をとるに過ぎず、たいていはパンの一片に紅茶の一杯で、お昼飯までひもじがりもしなかったのに、この頃は
 「馬鹿の三杯汁だね。」
と笑い笑い、赤塗の睦み椀をさしだす始末であった。(野上弥生子『狐』より)



 さて膳だが、――蝶脚の上を見ると、蕎麦扱にしたは気恥かしい。わらさの照焼はとにかくとして、ふっと煙の立つ厚焼の玉子に、椀が真白な半ぺんの葛かけ。皿についたのは、このあたりで佳品と聞く、鶫を、何と、頭を猪口に、股をふっくり、胸を開いて、五羽、殆ど丸焼にして芳しくつけてあった。
 「難有い、……実に難有い。」
 境は、その女中に慣れない手つきの、それも嬉しい……酌をして貰いながら、熊に乗って、仙人の御馳走になるように、慇懃に礼を言った。
 「これは大した御馳走ですな。…実に難有い……全く礼を言いたいなあ。」
 心底の事である。はぐらかすとは様子にも見えないから、若い女中もかけ引きなしに、
 「旦那さん、お気に入りまして嬉しゅうございますわ。さあ、もうお一つ。」(泉鏡花『眉かくしの霊』より)



 客は二人とも髭を生した五十前後の紳士で、松屋三越あたりの帰りらしく、買物の紙包を携え、紅茶を命じたまま女給には見向きもせず、何やら真面目らしい用談をしはじめたので、君江はかえってそれをよい事に、ひまな女たちの寄集っている壁際のボックスに腰をかけた。テーブルの上には屑羊羹に塩煎餅、南京豆などが、袋のまま、新聞や雑誌と共に散らかし放題、散らかしてあるのを、女たちは手先の動くがまま摘んでは口の中へと投げ入れているばかり。活動写真の評判や朋輩同士の噂にも毎日の事でもう飽きている。眠気がさしてもさすがここでは居睡りをするわけにも行かないらしく、いずれも所業なげに唯時間のたつのを待っているという様子。その時隅の方でひとり雑誌の写真ばかり繰りひろげて見ていた女が、突然、
 「アラ、実にシャンねえ。清岡先生の奥様よ。」という声に、ボックスに休んでいた女は一斉に顔を差出した。君江も屑羊羹を頬張りながら少し及腰になって、
 「どれさ。見せてよ。わたしまだ知らないんだからさ。」(永井荷風『つゆのあとさき』より)



(別段どろぼうをして行くわけじゃない、空いているものを使わせて貰うばかりだ、罰もあたるまい)我ながら少々ふてぶてしいとは思ったが――。
 彼はそう心を決して、しばらく籠城の食料を買い込んで来たら、すっかり気持が落ちつき、台所から探しだした古バケツに米を入れて、あの流れで磨ぎながら、思わず口笛を鳴らしたりした。
 その彼の頭上の晴れた空の林に、なんていう鳥か名も知らない小鳥が飛び交わしていた。(素敵だなあ、少し寒いのさえ我慢すれば、俗な温泉場へ行くよりよっぽどいいや、第一経済だ)
 彼は口笛を吹きつづけた。
 炉の中には落葉松や白樺の薪が燃え、小鍋の味噌汁には葱の香がして、薪のおきを集めた上に、これも見つけだして来た金網の上に塩引をじりじりと焼いて、さっき釜をすっかり黒くいぶしながら、薪の上にのせて炊いた熱い飯を茶碗に盛って、ほうほうとかきこむと、楽しいキャンプ生活をしているようで、気がのびのびした。(吉屋信子『生霊』より)



 さて、この晩、いつものことながら食事はダイニングテーブルではなされなかった。その位置からはテレビが見にくかったからである。だから、わざわざコーヒーテーブルに寄り集まって、ろくな話もせず、膝の上にあぶなっかしく皿をのせていた。料理は母がキッチンからつぎつぎに運んできた。揚げタマネギを添えたレンズ豆、ココナツ風味のサヤインゲン、魚とレーズンのヨーグルトソース煮込み――。あとからわたしも水のグラスや、くさび形に切ったレモンの皿や、トウガラシを持っていった。月に一度くらいはチャイナタウンへ行くことがあったから、トウガラシをまとめ買いしてフリーザーに入れておいた。指先でちぎって、料理にまぜ込むのだ。(ジュンパ・ラヒリ『ピルザダさんが食事に来たころ』小川高義訳)



 翌る日の夕方、お夏の姉が電報を持って泣いて来た。次の朝姉妹は北海道へ立った。馬車を見送ってやって私と八重子は谷へ下りた。藁屋根の下はダリアの花盛りだった。
「ダリアはおいしそうね。食べられないでしょうか。精進揚か浸物にしてみたいわね。菊の花や紅葉の葉よりよかったら大発見だわね。私人蔘も嫌いだけれど、蓮の根を食べるのは愚かな習慣だと思ってよ。でもあれを最初に食べた人はえらいと思うわ。静江が来たらもう東京へ帰るのはよしましょうね。ダリアの花だとか、コスモスの柔かい茎だとか、蕎麦の葉だとか、そんなものを山の中でお料理してみる生活を送るんだわね。静江はきっとそんなことが好きだと思うわ。きょうだい三人で静かにいたいわ。お夏なんか追出して下さるわね。あんな気味の悪い人ありゃしないわ。」(川端康成『白い満月』より)



「遅いわねえ」
 母の声はラジオよりもよく響いた。母は立つと、店から琺瑯引きの蓋のついた円筒形の容器と四角形のブリキ缶を持ってきた。どちらにもジャムがはいっているのだ。母は畳に新聞紙を敷いて容器を二つならべた。ブリキ缶から琺瑯の容器にジャムをとり、薬缶の湯を注ぐと、杓文字で練りはじめた。ジャムを湯で薄めるのは、量を増やすためと、パンに塗りやすくするためだった。
「おいで」
 呼ばれた私が近づいていくと、母は私の掌に杓文字でジャムを塗ってくれた。私は舌を伸ばしてジャムを嘗める。ブリキ缶にはいっていたジャムは黒ずんでいるが、湯で練ると透明感のある鮮やかな赤になった。鼻の頭についたジャムを、もう一方の掌にとって嘗めた。(立松和平『卵洗い』より)

過去日記27


実家に帰省中ですることがないので、父と一緒に火星を見たりしている今日この頃ですが、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。
今年は火星が地球に近づく年だそうで、ここしばらくは火星が明るく見えるとかいうことで、火星の下あたりにある二等星のアンタレスを探したりしております。
今日はあいにくの曇り空で、明日も東京上空は曇りの予報のようですが、明日は月齢ゼロとのことなので、星の観察には向いているのではと思います。
晴れた地方の方は是非探したり探さなかったりなさってください。

星と言えば(唐突)J・C・クーパー『世界シンボル辞典』によればエジプトではファラオは死後に北極星(正確には周極星の一部)になると考えられていたということで、
そのあたりは詳しく存じ上げないわけでございますけれども、
遊戯王のカードに星読みの魔術師だとか凶星の魔術師だとかいったキャラクターがいることからも、
なんとなくBM師弟に絡めることができるのではと思う次第です。

古代エジプトの新年は現代の太陽暦で言うところの7月19日で、セプデト(シリウス)が太陽と共に東の水平線に現れるこの頃にナイルの氾濫が起こるという話が有名でございますけれども、
そういうアレをどうこうして古代師弟が家の屋上で肩掛けとか羽織りつつ星とか見ちゃってて、
でもエジプトの夜は冷えるので師匠が弟子を自分の肩掛けに一緒に入れてあげるみたいな、
そんな話を妄想するよねみんなするよね?

しかしエジプトあたりだと星というのはどのような見え方をするのか?という疑問がございまして、
ちょっと父に話を聞いてみましたので、にわか知識で語ってみたいと思います。

星は、緯度によって見え方が違うのだそうでございまして、
北の方では北極星は見えるけど南十字星は見えなかったり、
南の方では南十字星は見えるけど北極星は見えなかったり、
といったことがあるのだそうでございます。
そしてエジプトの緯度は地図で見た感じだとだいたい鹿児島くらいなので、日本と星の見え方的にはそう変わらないということでございます。ご安心いただければ幸いです。

にわか知識おわり。

そういうわけで新年祭の前の忙しい時期の少し前のこの時期に、
古代師弟が屋上で星とか見ちゃってる、みたいな話をいつか書きたいと思っておりますので、
なにとぞよろしくお願い申し上げます。

あと、古代エジプトの新年祭について、ハトホル女神像を神殿内引き回しにするくらいのところしか分からないので、
もし何かご存じのことがございましたら
是非教えたり教えなかったりしていただければ幸いです(教えて下さい)

趣味は妄想と、妄想を補強するための資料を調べることと、遊戯王カードWikiを眺めることです。

過去日記26


志賀海神社の遙拝所好き。
というか遙拝所が好き。
しかも志賀海神社の遙拝所は海に向かってるので、沖縄っぽくて盛り上がる。
今日外出がてら足をのばして志賀島に行って、いつもは島をぐるっと回ったら帰るんだけど、ついでに寄ったらすごくよかった。

沖縄本島斎場御嶽から久高島を遙拝できるのも、石垣島のサビチ鍾乳洞の、洞窟を抜けた先に海があるのも好き。
もうニライカナイ行く…!

遠くに見えると言えば、関崎の灯台佐田岬灯台豊予海峡を挟んで向かい合ってるのとか大好き。
こないだ関崎灯台に行ったので、今度は佐田岬灯台に行きたい。
あと三国嶽の夜叉ヶ池から晴れた日には遙か彼方に白山が見えるっていうのがたまらない。
前に金沢の泉鏡花記念館に行ったらたまたま夜叉ヶ池展をやってて、そこにあった、夜叉ヶ池から白山を望むの写真がすごくよかった。
だから白雪姫は白山千蛇ヶ池の若君に恋してるのか~!って思った。

夜叉ヶ池は原作ももちろんだけど三池舞台版がすごく好き。
なのにどこにもサイトがないので思いあまって作ったページを供養しときますね。

http://db31.html.xdomain.jp/yasyagaike.html
三池舞台版夜叉ヶ池の、姫に岡惚れしてる鯉七を愛でるページ。
三池舞台版夜叉ヶ池が2004年で、見てすぐに書いて当時のサイトに特設ページ作って乗せてたやつだから、もう12年前になるのか…遠い目になる…。
12年前に書いたものとか、記憶が遠すぎてもはやどういう顔をして読んだらいいかわからないレベルの、黒歴史を通り越して泥歴史である。とりあえず、当時も当時でマイナーかつ供給のないカプにはまっちゃって発散できない萌えをどうにかしたくて頑張ってた昔の自分を労ってやりたい。


ところでこのあいだ善光寺行ったら東山魁夷館で相変わらず魁夷と川端康成が仲良くしてて、ふふってなった。
春の夜明けの薄い朝霧に青を溶かしたような色合いも好きだし、少し重い黄色の秋の金の日差しも好きだけど、今の気分だと緑の窓がよかった。
だってこういう山で御行一味が関所抜けとかしてるんでしょたまらん。

東山魁夷は、緑の谷が、すごく、バズー!魔法世界のエルフの里への道すぎて胸が苦しい。



バズー!魔法世界の隠しダンジョン目で、クリア直前にロマールが言う、
「迷うなクレイブ、君は魔法がなくてもやっていける。雨の森を思い出すんだ」
っていうセリフ。
魔法世界なんてタイトルで主人公は優秀な魔法使いだったリカルドの忘れ形見だっていうのにシャールも誰も魔法を教えてくれなくてはじめての探査なのに物理攻撃しかできない貧弱パーティーだよ!なんだこのゲーム!
と雨の森では思っていたけど、
あのときロマールと一緒に行った雨の森がすべてのはじまりで、魔法なんかひとつも使えなくてアーリアンに苦戦しながら、世界を見たくて旅立ちたくて、そのために行ったあの雨の森に、世界の理を知ってしまった今、ぜんぶは還るんだな…
ここまでの十四年間は、世界の理を知って、知った上で、世界なんて見たこともなくてその残酷さも知らなかった頃の出発点に還るためにあったんだな…
と思ってもはやこれは大河ドラマ

真田太平記が、天魔の夏からはじまって雲の峰に終わるみたいな、夏にはじまって最後はあの夏に還るみたいな、それと似てるけどでも還る場所が夏よりももっと具体的に共有できる過去なのがグッとくる。