過去日記9


さっき大学生悟まこで悟が借りてるボロアパートの設定にほのかな愛着があるみたいなこと書いたけど、そもそもボロアパートにほのかな憧れがある。
ボロアパートとか、人が住むことで廃墟になるのをギリギリ免れてるあばら家(古民家的なのとはまた別)とか、なんかそういう建物に憧れる。
「コザに抱かれて眠りたい」の照屋アパートとか、「見えない街からションカネーが」の家とか、そこはかとなくロマンチックだと思う。
畳とかめっちゃ日焼けして毛羽立ってて、なんなら腐りかけてて沈み込んじゃう感じなんでしょ。縁とかもきっとボロボロなんでしょ。
網戸も穴が広がってたりサッシから剥離しかけてたりして、台所のガス台は別売りのやつなんでしょ。
階段が鉄の板みたいなやつで錆が浮いてて、廊下の電灯が切れたままいつまでも交換されなかったりするんでしょ。
でも階段の手すりにヘブンリーブルーが絡みついて咲いてたりするんでしょ。
ヘブンリーブルー咲きつぎ知らぬ間にひと傷つけてわれの谷底(江戸雪)みたいな、人生の蹉跌とほのかな光があるんでしょ。

百年も生きて夜明けの紺朝顔(高島茂)

朝顔なにかが終わる身のほとり(長谷川秋子)

朝顔の藍をたよりに帰りなさい(坪内稔典)

あさがおはむらさきがいいな水をやる(大高瑛菜)

みたいな、長く生きすぎた倦怠を脱ぎ捨てて光の中に生まれ変わるみたいな、イニシエーションの場としてのボロアパートなわけでしょ。

そういえばこの間実家に帰省してたときに父と散歩に出かけて、父の散歩コースを一緒に歩いてたら、大きな木があった。
「このケヤキはこのあたりで一番大きい木なんだよ。もし私とはぐれて道に迷ったら、このケヤキを頼りに帰りなさい」
って言われて、なんとなく文学的だわねえと思ってたら、
「ん?よく見たらケヤキじゃなくてムクかもしれないなあ」
って続いたので台無しになった。

道ばたのケヤキ(ムクかも)をたよりに帰りなさい(ひかり)

普通にスマホGPS使うから、大丈夫です。
父の散歩コースが南は城ヶ島まで広がっててびっくりした。駅からウォーキングが流行ってるからね。仕方ないね。
雨は降る降る日は薄曇る舟はゆくゆく帆が霞む