過去日記11


赤不浄について考えてて、あれっそういえば古代エジプトではどんなだったかな?ってなった。ので家にある本のそれっぽい記述を読んでみた。

以下はマンフレート・ルルカーのエジプト神話シンボル事典の記述

Blood 血
 創造力というのは,神々から「流れ出るもの」に属するものだとされた.(中略)『死者の書』で「おー,イシスの血よ」と呼ばれているイシスの結び目(tet)が,血が生命を与えるのだという考えと,どれくらい結びついているかははっきりとしない.この血がイシスの経血となんらかの関わりがあるという考えは,おそらく,全く間違ったものとは言えないであろう.(18ページより)

イシスの血. このしるしは,エジプト人によってテトtetと呼ばれたが,横腕がだらりと下がっている点を除くと,輪つき十字架に似ている.イシスの血は,多くの点で,神々がつけるガードルの結び目によく似ている.その本来の意味はわからないが,新王国時代以後,イシスとの結びつきははっきりしている.(中略)イシスの血はジェド柱と関連することが多く,とくに,神殿の壁や寝台や石棺を装飾するときに関連した.イシスの血とジェド柱か結びつくと,この2つのシンボルは,イシスとオシリスを通して,相反する世界の諸力の結合のことを言い,そして,それとともに,征服しえない生命の本性のことをも言った.(75から76ページより)

でもって以下はエヴジェン・ストロウハルの古代エジプト生活誌の記述

 古代エジプトの女性は、不妊は何かのたたりであり、不名誉なことであるとしてひどく恐れていた。そこで治療のため、ナツメヤシ等の特効薬を膣に挿入したり、経血を太ももや腹にこすりつけたりした。妊娠中に月経が止まるのは、胎児を作り育てるために血が使われるからだと考えられていたのである。(18ページより)

あんまり月経そのものに関する記述がないんだけど、全体的に、月経の血は創造と関わりがあり、月経の血には特別な力があるっていう、プラスの捉え方をされてたと思っていいのかな?
なんとなくマハマナは、すっごいまじめな感じでそのへんのことをマハードがマナに教えてそうで、そこには恋愛とか色気とかの入る余地なんてまったくなさそうで、そこがすごく好き。
月経周期と月の満ち欠けとかも古代エジプト人は関連づけてそうだし、マハードがそのへんをマナにまじめに教えてあげてたら可愛い。

あとぜんぜん関係ないけど、プルタルコスが結婚訓かなんかで
「エジプトでは女はサンダル履かないと外出られないから、夫は妻の行動を束縛する必要があるときはサンダル隠しちゃうんだよお☆(ゝω・)」
みたいなことを書いてて、まーたプルタルコスおじさんが適当なこと言ってる…ってなったんだけど、これを事実としてみてマハマナに応用すると萌えるな!って思った。

庶民は裸足で歩くけど、上流階級はサンダル着用が普通だから、だからっていってサンダルがなかったら出歩けないってこともないだろうけどまあ基本は出歩かないんだよお☆(ゝω・)ってことにして、

・初潮をきっかけにマハードの知り合いの女神官の家に行儀見習いをかねて預けられるマナ
・経緯はなんか、マハードが、月経の女性のために家にカミツレ花を用意しておくべきっていう固定観念から周囲にカミツレ花を扱ってる薬草屋知らないか訊いて回って、知り合いの女神官が「お弟子さんのためかしら?」みたいになった的な
・マハードは普通に行儀見習い兼月経の対処について教えてもらうために女神官のところに数日程度預けるだけのつもりだったんだけど、相手はてっきり縁談を持ち込まれたものと思ってて、親戚の男の子とか家に呼んで引き合わせちゃう
・で、相手は乗り気なんだけどマナは分かってなくて、でもなんかおかしくない?ってなる
・帰りたいんですけど…ってなるマナに、えっまだ縁談の話が大して進んでないよ?ってなる女神官と相手の家族
・どうも話が噛み合わなくて、帰りたいマナと、マハードの手前(別にマハードは縁談のこととか考えてないんだけど、相手は仲人を頼まれたと思って勝手に責任感じてる)返したくない相手とで話の落としどころが行方不明になる
・で、とりあえず神官の家の子だし、サンダル隠せば無理に家に帰ったりしないよね!って相手方がマナのサンダル隠しちゃうんだけど、マナは裸足で飛び出してマハードのところに帰っちゃう
・普段サンダル履いてるせいで、日頃から裸足の庶民みたいに足の裏の皮膚が厚くなくて、足の裏がズタズタになっちゃう
・傷が膿んで毒が体に回ったらどうするつもりだってマハードにめっちゃ怒られるんだけど、流れ出る血は創造力そのものだから、まあ多少はね!

みたいなマハマナを妄想したけどマハードが影薄すぎて、ぼくは泣いた(真太郎)

おわり。

◆あっちなみに、プルタルコスの適当さというか、記述の真贋について、批判しているのではないです。
プルタルコスの時代にはそれが通説だったろうというのも踏まえて、プリニウスの博物誌とか、マルコポーロの東方見聞録みたいな、当時の歌枕的な世界を見るっていう意味で好きです。
歌枕について、作品に読み込まれる中で各名所は一定の表現、情趣をもつことになり、歌枕を詠む際、その場所が実際にどうなっているかは、そうした文学史上の情趣に比して二義的とされた。って百科事典にあるけど、私は橋本治が桃尻語訳枕草子かなんかで書いてた、
歌枕っていうのは、現実の日本地図の上に、観念的な日本地図をふわっとかけたみたいなもの
的な捉え方が好きです。