過去日記13


目覚めてはじめに感じたのは夏の午後の白い光だった。ほんのわずかだけ翳りを帯びた日差しが、柱廊へと続く掃き出し窓から部屋に降り注いでいる。
午睡の夢の甘い名残が瞼の裏にまだ漂っていた。夏の陽光で存分に暖められた土と日乾し煉瓦の、少し埃っぽいような、土いきれを含んだ匂いが鼻腔を充たす。この匂いに似た夢を見ていた。夢の細部を思い出すことはもはやできなかったが、感覚だけは鮮明だった。
寝そべったまま、夢とうつつのあわいの、どちらかと言えば夢よりのところで、わずかに翳った夏の日差しや土いきれの柔らかな質量にそっと憩う。目を閉じればもう一度眠りの瀞に身を沈めることができそうだった。
中庭で小鳥が鳴き交わしている声が聞こえる。この屋敷の中庭には小鳥が多く降りてくる。下女が余り麦を厨近くの地面に蒔くからだろう。追い払うことはしない。鳥は魂の一つの形であり、あるいは神の使いだ。
風がナツメヤシの梢を渡る音が聞こえた。日差しは強いが、部屋を通る風は涼しく、日陰の敷布の上は居心地がいい。瞼を下ろして再びの眠りにつこうとしたそのとき、さりさりという優しい音が耳朶をかすめた。
サンダルの裏が柱廊に敷き詰めた日乾し煉瓦を擦る音だろうとぼんやり考えて、目を笑みの形にする。この国で履き物を身につけることのできる人間はそう多くない。不在がちな屋敷の主がしばらくぶりに自邸に戻ってきたらしかった。
今度の不在はだいぶ長かったように思う。どんな用でどこに行っていたのだったか。神殿に、否、王宮に、否、王墓の警備に。
眠りに落ちる寸前の意識でゆるゆると考えて、それから、ふと息が止まった。
違う。
神殿でも王宮でも王墓の警備でもない。不在でもないし、ましてや帰還などでは決してない。
彼はもういないのだから。
夜闇のように、岸に寄せる波のように、そっと忍び寄る現実が身を包む。彼はもう神殿にも王宮にもいないのだ。彼の時間はあの暗く冷たい王墓で止まってしまって、だから彼が屋敷に帰ってくることは二度とない。
住む世界を違えてしまった人だった。再び言葉を交わすことは、生有るうちは、叶わぬだろう人だった。
午睡の眠り心地は消える気配もなく消えていた。体を起こして、床に手をつき、四つん這いで掃き出し窓に近づく。窓から顔を出すと、昼の日の光に照らされた柱廊に、どこかから飛んできたのだろう、枯れかけた大きなイチジクの葉が落ちていた。風が柱廊を通るたびに枯れ葉が吹き動かされて、床の日乾し煉瓦が、さりさりと鳴った。
風の音。鳥の声。彼のサンダルの音によく似た、日乾し煉瓦がさりさり鳴る音。夏の午後の中庭に、他に動くものや音はなかった。空には薄く雲が広がり、日が淡く翳ろうとしていた。
この静かな絶望をこれからいくたび繰り返すのか、繰り返さなくてはならないのか、分からなかった。胸が痛かったが、死に至る痛みではないと知っていた。だから生きなければならなかった。彼がいないこの国で、生きなければならなかった。風が静かに吹いていた。