過去日記28


美味しそうがらせに来てるわけじゃない感じなのに美味しそうな食事の描写を読みながらご飯を食べるのがSUKI(悪癖)
読みたいときに本が手元になくて読めないことがままあるので、実家の本の内容をメモしてあとで私が喜ぶ計画です。



 うまそうな匂いで鍋が吹きこぼれ、ストーヴの薪がぱちぱち燃えさかる中で、二人は愉しく笑った。やがて出来あがった狐の朝飯を、その前に掃除のすんだ狐舎に萩岡がバケツで運んで行き、それぞれに配って来るあいだに、芳子は今度は自分たちのに取りかかる。ストーヴのもう一つの方の穴で、ご飯だけはもう炊けているから、おみおつけを作り、それに割った卵を落す。フライド・エッグより、萩岡はそれを好んだ。半熟よりはややかたく、こちこちにはさせない程度にするのがこつものであった。そうやって拵えあげた朝御飯も、東京の家ほどではないが、とにかく、萩岡にはこちらへ来てもほんの習慣で箸をとるに過ぎず、たいていはパンの一片に紅茶の一杯で、お昼飯までひもじがりもしなかったのに、この頃は
 「馬鹿の三杯汁だね。」
と笑い笑い、赤塗の睦み椀をさしだす始末であった。(野上弥生子『狐』より)



 さて膳だが、――蝶脚の上を見ると、蕎麦扱にしたは気恥かしい。わらさの照焼はとにかくとして、ふっと煙の立つ厚焼の玉子に、椀が真白な半ぺんの葛かけ。皿についたのは、このあたりで佳品と聞く、鶫を、何と、頭を猪口に、股をふっくり、胸を開いて、五羽、殆ど丸焼にして芳しくつけてあった。
 「難有い、……実に難有い。」
 境は、その女中に慣れない手つきの、それも嬉しい……酌をして貰いながら、熊に乗って、仙人の御馳走になるように、慇懃に礼を言った。
 「これは大した御馳走ですな。…実に難有い……全く礼を言いたいなあ。」
 心底の事である。はぐらかすとは様子にも見えないから、若い女中もかけ引きなしに、
 「旦那さん、お気に入りまして嬉しゅうございますわ。さあ、もうお一つ。」(泉鏡花『眉かくしの霊』より)



 客は二人とも髭を生した五十前後の紳士で、松屋三越あたりの帰りらしく、買物の紙包を携え、紅茶を命じたまま女給には見向きもせず、何やら真面目らしい用談をしはじめたので、君江はかえってそれをよい事に、ひまな女たちの寄集っている壁際のボックスに腰をかけた。テーブルの上には屑羊羹に塩煎餅、南京豆などが、袋のまま、新聞や雑誌と共に散らかし放題、散らかしてあるのを、女たちは手先の動くがまま摘んでは口の中へと投げ入れているばかり。活動写真の評判や朋輩同士の噂にも毎日の事でもう飽きている。眠気がさしてもさすがここでは居睡りをするわけにも行かないらしく、いずれも所業なげに唯時間のたつのを待っているという様子。その時隅の方でひとり雑誌の写真ばかり繰りひろげて見ていた女が、突然、
 「アラ、実にシャンねえ。清岡先生の奥様よ。」という声に、ボックスに休んでいた女は一斉に顔を差出した。君江も屑羊羹を頬張りながら少し及腰になって、
 「どれさ。見せてよ。わたしまだ知らないんだからさ。」(永井荷風『つゆのあとさき』より)



(別段どろぼうをして行くわけじゃない、空いているものを使わせて貰うばかりだ、罰もあたるまい)我ながら少々ふてぶてしいとは思ったが――。
 彼はそう心を決して、しばらく籠城の食料を買い込んで来たら、すっかり気持が落ちつき、台所から探しだした古バケツに米を入れて、あの流れで磨ぎながら、思わず口笛を鳴らしたりした。
 その彼の頭上の晴れた空の林に、なんていう鳥か名も知らない小鳥が飛び交わしていた。(素敵だなあ、少し寒いのさえ我慢すれば、俗な温泉場へ行くよりよっぽどいいや、第一経済だ)
 彼は口笛を吹きつづけた。
 炉の中には落葉松や白樺の薪が燃え、小鍋の味噌汁には葱の香がして、薪のおきを集めた上に、これも見つけだして来た金網の上に塩引をじりじりと焼いて、さっき釜をすっかり黒くいぶしながら、薪の上にのせて炊いた熱い飯を茶碗に盛って、ほうほうとかきこむと、楽しいキャンプ生活をしているようで、気がのびのびした。(吉屋信子『生霊』より)



 さて、この晩、いつものことながら食事はダイニングテーブルではなされなかった。その位置からはテレビが見にくかったからである。だから、わざわざコーヒーテーブルに寄り集まって、ろくな話もせず、膝の上にあぶなっかしく皿をのせていた。料理は母がキッチンからつぎつぎに運んできた。揚げタマネギを添えたレンズ豆、ココナツ風味のサヤインゲン、魚とレーズンのヨーグルトソース煮込み――。あとからわたしも水のグラスや、くさび形に切ったレモンの皿や、トウガラシを持っていった。月に一度くらいはチャイナタウンへ行くことがあったから、トウガラシをまとめ買いしてフリーザーに入れておいた。指先でちぎって、料理にまぜ込むのだ。(ジュンパ・ラヒリ『ピルザダさんが食事に来たころ』小川高義訳)



 翌る日の夕方、お夏の姉が電報を持って泣いて来た。次の朝姉妹は北海道へ立った。馬車を見送ってやって私と八重子は谷へ下りた。藁屋根の下はダリアの花盛りだった。
「ダリアはおいしそうね。食べられないでしょうか。精進揚か浸物にしてみたいわね。菊の花や紅葉の葉よりよかったら大発見だわね。私人蔘も嫌いだけれど、蓮の根を食べるのは愚かな習慣だと思ってよ。でもあれを最初に食べた人はえらいと思うわ。静江が来たらもう東京へ帰るのはよしましょうね。ダリアの花だとか、コスモスの柔かい茎だとか、蕎麦の葉だとか、そんなものを山の中でお料理してみる生活を送るんだわね。静江はきっとそんなことが好きだと思うわ。きょうだい三人で静かにいたいわ。お夏なんか追出して下さるわね。あんな気味の悪い人ありゃしないわ。」(川端康成『白い満月』より)



「遅いわねえ」
 母の声はラジオよりもよく響いた。母は立つと、店から琺瑯引きの蓋のついた円筒形の容器と四角形のブリキ缶を持ってきた。どちらにもジャムがはいっているのだ。母は畳に新聞紙を敷いて容器を二つならべた。ブリキ缶から琺瑯の容器にジャムをとり、薬缶の湯を注ぐと、杓文字で練りはじめた。ジャムを湯で薄めるのは、量を増やすためと、パンに塗りやすくするためだった。
「おいで」
 呼ばれた私が近づいていくと、母は私の掌に杓文字でジャムを塗ってくれた。私は舌を伸ばしてジャムを嘗める。ブリキ缶にはいっていたジャムは黒ずんでいるが、湯で練ると透明感のある鮮やかな赤になった。鼻の頭についたジャムを、もう一方の掌にとって嘗めた。(立松和平『卵洗い』より)